事務局より
田中さんは、自己紹介でもあるように、中国へ語学留学の後、日本で就職。二人目の子供の育休中に、北京にある合弁会社への出向が決まり、そこで10年間勤務されました。そのときの日常で起こった「おどろいた話」を通して、中国の一面をご紹介下さいました。
当日上映されたスライドは、PDFにてご覧ください。
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田中 千賀子さん(29期)

「北京でおどろいた話」

自己紹介

1989.9-1990.6 中国・南京大学に語学留学(留学生別科)
1991.4 就職
1999.4~2008.12 中国・北京にある合弁会社へ出向
2009.1~現在 大阪・中之島の事務所にて勤務





育休中に中国にある合弁会社で勤務しないかという話がきた。'89年の語学留学時の印象しかなかったので、8ヶ月の子連れでは無理かなと思ったが、夫が自分の母親を行かせるからと応援してくれた。義理の母親はアフリカのマリ人。小さい頃、兄弟の世話のために学校に行かせてもらえなかったので、公用語であるフランス語が、まともに話せず読み書きも出来ない。そんなお母さんがはるばるマリから中国に来てくれて、中国での生活がはじまった。

おどろいた話1: 博物館にて
歴史博物館には素晴らしい芸術作品が展示されている。博物館の中の売店で、複製品が売られている。一緒に観にいった人が高い青銅製品をたくさん買う人だったこともあって、自分もつられて一つ買った。インターネットでも「新石器、鷹、鼎」と検索するとすぐ出てくる、有名な作品。三千元もして高かったので迷っていたところ、店員さんに、「青銅製で丈夫だから、例え落としたとしても、床が壊れてもこれは壊れない」と言われて買った。気に入って家に飾っていたら、ある日、お手伝いさんが、その置物が掃除機のコードにひっかかって倒れたと言った。あわてて床を見たところ、床の方は全く大丈夫で、逆にその鷹の置物のくちばしが折れていた。
教訓:
• 修理はすぐにする。(すぐに売店にもって行ったら、修理か交換してもらえたと思うが、重いのでそのままにしていまい、結局修理できず。)
• 新石器時代には青銅はまだ無かったと気付いていればよかった。(後から新石器時代は青銅の前だと、人から指摘を受けた。)


おどろいた話2: 外国人用アパートにて
中国の駐在員は、ほとんど会社が用意してくれた外国人用アパートに住む。私も、’85年にミサワホームが建設したマンションに住んでいた。高層ではなく、2,3階の建物が点々と並んでおり、レイアウトも非常にコンパクトで住みやすくできていた。日本人もたくさんいるので、子供の遊び相手にも困らない。アパートの周りは外壁で囲まれていて、24時間警備員が立っている。敷地内にも警備員がいるのでセキュリティも万全。家賃は120平米で2万四千元(30万円くらい)だった。
だが、ある時、その外壁のすぐ向こう側にレストラン街が建設されるといことで工事が始まった。騒音がひどかったので、部屋を変えて欲しいとマンション側に言っていたが、聞きいれてもらえず不満に思っていた。するとある日、ものすごい音と振動がした。驚いて外を見ると、マンションの外壁が全部倒れて、外の様子が丸見えになっていた。管理部に聞いたところによると、その外壁は、歴史的原因があって、実はマンション側に所有権は無く、隣の土地のものなのでどうすることもできないという。外壁のところには、プレハブの壁ができるまで、間隔をおいて置かれた椅子に警備員が座っていた。しかし、今まで、部屋を変えて欲しいという要望を聞いてもらえず、ひどい扱いをうけていたので、もうこんなところに住めない!と怒ってしまい、壁が倒れて二日目に、別のマンションを契約して引っ越した。ただ、引越し先は不便だったので、結局、2年後に最初と同じマンションにもどることになる。
教訓:
• 歴史的原因はいかんともしがたい。
• 短気は損気。


おどろいた話3: お手伝いさんの嫁さがし
中国ではお手伝いさんを雇いやすい。女性は工場などの一般労働者は45歳が定年と早いので、定年後お手伝いの仕事をする人が多い。外国人がお手伝いさんを雇うには、ちゃんとした仲介会社を通して雇わないといけないという決まりがあるので、最初は仲介会社を通して、北京の女性にきてもらった。2人目は、北京でお付き合いしていたマリ人家族のところで働いていた、安徽省出身の女性に来てもらった。3人目は、その2人目の人からの紹介で来てもらった。
今日は、2人目のお手伝いさんで、趙さんのお話をする。趙さんは、子供と夫をおいて、安徽省から北京に出稼ぎに来ていた。趙さんには、年の離れた弟(当時20歳くらい)がいた。彼女は長女で、高齢で病気がちの母親から、弟の嫁を探せというプレッシャーをかけられていた。ある日、同じ安徽省出身の女性を紹介してもらい、弟も気に入ったということだったので、彼女はとても喜んだ。だが、しばらくたって、彼女は弟の相手の女性のことで、とても落ち込んでいた。理由は、ワキガだという。その相手の女性がそうなのかと思えば、その女性のおじいさんが三男で、おじいさんの一番上のお兄さんがワキガだという。田舎ではワキガは長男に遺伝するといわれているので、趙さんのお母さんが、急遽このお見合いに反対したという。結局、それが原因で、そのお見合いは断った。
教訓:
• 先祖から受け継いだ血を、まちがいなく、次の世代へ引き継ぐという意思が強いのだと感じた。



おどろいた話4: 列車の中で
次男が4,5歳の頃から、中国国内を列車で旅行するようになった。長男が6年生のときに、5年生になる友人の子が日本から一人で遊びに来たので、私と子供二人とその友達の4人で、内モンゴルの草原に列車で行った。
中国の寝台列車には、一等寝台、二等寝台がある。一等はコンパートメントでドアがついた部屋に二段ベッドが二つ。二等はオープンな車両に三段ベッドがたくさん並んでいる。行きは一等が取れたが、帰りが二等しかとれなかった。二等でも、下のベッドのほうが値段が高い。下段ベッドのチケットは持っていたが、同じブロックに赤ちゃん連れの人がいたので、交換してあげたため、4人とも上段ベッドに寝ることになった。
翌朝、下段に寝ていた人たちが、上段に寝ていた友人の子がベッドから落ちてきたよと言う。友人の子は全くの無傷。どうやら寝ぼけて頭から落ちたが、うまく一回転して足で着地したようだ。その後、自分ではしごを登ってベッドに戻ったという。ともかく無傷でよかったが、落ちる方向が悪ければ、テーブルなどにあたっていたと思うと恐い。自分の子供は5歳頃から上段で寝ていても問題がなかったので、上段は危ないという意識さえ無かったのだが。なんと前日に席を替わってあげた中国人からも「子供は上に寝かせたらあかんよ」と言われた。何故それを先に言ってくれなかったのか。
教訓:
• 寝癖を把握できていないヒトの子供は、寝台列車では、下段のベッドに寝かせる。


おどろいた話5: 中日友好病院にて
北京にある中日友好病院は、日本政府が援助して建てたという病院。設備もよく日本語のできる医者も多い。お母さんがこの病院に入院した。トイレで血が出たという。お母さんと私は言葉があまり通じない。原因がわからないまましばらく入院したが、痔だということがわかった。手術をすることになったが、手術が上手な先生にしてもらうならば、指名料が要るといわれた。お母さんには早く直ってもらいたかったので、指名料を払ってその先生にお願いすることにした。
手術当日、お母さんは「無菌室」と書かれた手術室に入っていき、私はそこには入れず、手術室の前で待っていた。すると、大きなテレビカメラをもった人たちが、その手術室に入っていこうとした。病院側は、私には、ここは無菌室です、と説明をしていたのに、全くの普段着の格好をした人たちが、手術室に入っていこうとするので、必死になって止めた。結局撮影はされなかったが、どうやら、その医者が有名な人なので、手術の様子を撮影したかったようだ。
手術は無事終わり、経過も良好だったが、どうにも怒りで気がおさまらなかった。病院内を歩いていると、院長室を見つけたので、院長に直訴しようと思い、入って行って、院長に手術室の前であったことを説明した。後から看護師に聞いたところ、党書記が私の不在時に謝罪にきたようだ。看護師からは、「党書記(中国の国有組織(国営ではなくなっているが)には共産党支部があり、その長である党書記は、法人代表と同ランクのトップ)が2回も訪ねて来たんだよ」と恩着せがましく言われた。この時まだ駐在1年目だったので気が回らなかったが、指名料まで払ったのにこんな目にあって、指名料を返してもらえばよかった、と後から思った。
• 教訓:今後このようなことがあれば、指名料の返金を求める。











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