事務局より
自分自身をどのようにとらえるか。それができないと「自分誌」は作れないし、一見立派なものができても一人よがりのものになってしまう、という鋭いご指摘。自分の歩みだけから自身を見るのではなく、意志の有無で過去をとらえ、さらにその結果を余生のパワーに生かすようにしてはどうかというお話のようでした。これまでのフォーラムとは打って変って難解な箇所もありましたが、図表・事例写真によるわかりやすい説明を心がけていただきました。後半は仕事で作成に携わられた3つの地図のお話でした。むすびで紹介された、友との再会をよろこぶ毛利元就の歌はOB会にふさわしい印象深いものでした。「一途の多様」「多様の一途」そのままの盛り沢山の内容でした。

岡村 眞さん(10期)

「旅人の余滴 晩鐘編: 自分誌の試み」





0.はじめに


・ ロドリゲスの日本人の心の分析は17世紀前半にこのようなものが書かれたという点では驚きである。しかし、西洋人でも程度の差はあれ、お世辞は言うし、真意を明かさないことはいくらでもある。
・ ロドリゲスの言葉は、人間の心の深層、人とのコミュニケーションの問題を明らかにした点で近代哲学の先鞭をつけたものともいえる。この文章が発表されたのは、デカルトが思索をはじめた頃にあたる。



1. ふりかえり手法の紹介

1.1 加齢とふり返り



・ 年をとると自分をふり返りたくなるのは、誰にでもある。心理学の研究の対象にもなっている。
・ しかし、いい思い出だけにこだわって自分をふり返るのは、憧れの投影に終わる恐れがある。
・ まずできるだけ客観的に自分をとらえる必要がある。

1.2 自己観察と「自分誌」


・ 井上ひさしによれば、「自分しか体験していないことを誰にもわかるように書くのが文章。そのためには自分を研究・観察することが必要」という。つまり、コンテンツがなければ通り一遍のことしか書けない。
・ 一人よがりの自慢話を作るのが「自分誌」ではない。自分自身を掘り下げた後の編集表現が「自分誌」であるはずだ。

1.3 自分: 自我と自己










・ ロドリゲスが指摘したように「自分」の心は階層をなしている。「自我」(表層)と「自己」(深層)に大きく二分できる。思いの伝達は本来、自分の「自己」から他者への「自己」に伝わるべきものである。
・ 芸術表現もこの回路が前提となっている。昨秋の創部50周年記念イベントのスライドショーが出席者の共感をよんだのも、スライド一枚一枚の時代は自分とは違っていても、「自己」レベルで自身の体験・活動と共鳴・通底するところがあったからであろう。
・ そこで、「自我」に終わらない自分、とらえどころのない「自分」をどのようにとらえればよいか、ということが課題になる。

1.4 Opportunity-Deed法の紹介


・ 「人生は如意/不如意のあざなえる縄の如し」という言があったかなかったか、人生は意のままにならないものである。



・ 自分が何をしてきたか(Deed)。どんな転機があったのか(Opportunity)。その二つは自分の意志が及ぶものであったのか、なかったのか(如意/不如意)。



・ これらの事象を節目ごとに〈四窓分析〉にて振り返る。Opportunity-Deed(OD)法と名付ける。
A.暮らし・所業(Deed)
A1. 他  律 A2. 自  律
機会・契機(Opportunity) 偶  然 社会環境
家庭環境
事故・事件
出会い・別離
顕彰 お勉強(義務としての勉学)
町内会の当番(輪番制)
地域活動(ふとしたきっかけ、偶然の機会をものにする)
講演会・展覧会に出向く
意図的 期待外れの結果
妨害・中傷・誤解・怪我の功名・被害の克服
応募当選・落選 結婚・新家庭
合格後の勉学・研鑽
入社後の仕事
趣味
・ Deedには感情のような無意識・受動的な反応も含む。







・ この方法は、仕事で活用した‘地域の資産を掘り起こす’手法にヒントを得ている。この手法は良好なコミュニケーションをはかるために編み出された‘ジョハリの窓’手法を援用したものである。



・ 三木清が「我々の行為は、我々の為すものでありながら、我々にとって成るものの意味をもっている」(『哲学入門』)といっている。OD法は、これを絵解きしたもの。過去の「なす」と「なる」の事象を可能なかぎり客観的にとらえる方法といえる。
・ OD法のA1/B1が与件・社会環境にあたる。A2/B2が自身の自由裁量がきくもっとも楽しい領域である。A1/B2とA2/B1の内容は難解かもしれない。具体内容によっては位置づけが逆になることもあるだろう。

1.5 OD法の自身への適用例



・ (A1/B1)幼少期は戦争の名残がそこかしこに残っていた。進駐軍キャンプが自宅近くにあり、アメリカ人の生活をフェンス越しにまぶしく眺めていた。



・ (A1/B1)こわかった山の事故:社会人2年目に南アルプスの帰途、落石に会い間一髪。人身事故が起きていたら、私は今、このような形でここにはいないだろう。



・ (A1/B1)(A2/B1)いろんな著名人に出会った。ガガーリン、小林秀雄、大江健三郎、湯川秀樹、司馬遼太郎、日高敏隆、植田正治、谷川健一、そしてダライ・ラマ。





















・ ダライ・ラマの講演で、心のコントロールの重要性を教えられた。宗教講話である前に倫理哲学の趣があった。仏教三毒「貪る、瞋(いか)る、愚痴る」は人間としては避けようがないが、ネガティブにとらえずに、生活のエネルギーに転換できるように心のコントロールをしていけばよい、というように解釈してはどうだろうか。


1.6 OD法の力と限界



・ OD法の利用にも限界はある。WV部入部時と役員時で如意/不如意の状況はがらりと変わるように、その時どきでこのマトリックスをテンプレート(型板)のように自在に動かす必要がある。
・ OD法で得られた事象から物語、すなわち「自分誌」を作るには自身の価値判断による選択と編集を経なければならない。
・ OD法は不如意に立ち向かうことの大切さも教えている。事象のRecollection(復元、回想)から余生のRebirth(再生)の努力の重要性も浮かび上がる。これはダライ・ラマの講演に一脈通じるところである。


2. 「自分誌」の一断片
2.1 少年時代~学生時代













・ 子どもたちが科学に夢を見た時代に育ち、科学者になることに何の迷いもなかった。
・ 数学の力が伸びず、高校3年になって文学部に志望を変えた。
・ 英語の教科書にあったB.ラッセルの“Knowledge and Wisdom’の主旨(知識・教養以上に英知が重要)に飛びつき、文科系への転向の自分の理由付けにした。大学に入るとラッセルの購読が兼修外国語の科目にあったので選択。ラッセルに恩返しできた。
・ 英語の成績はもともとそんなによくなかった。高校3年の時、英語の新任教師の教授力が高く、力が付いた。教えたことしか考査には出さないという原則、80点以上の高得点者リストの公表という競争原理の導入が画期的であった。京都の公立学校は「民主教育」を掲げ、生徒間の競争には元来、消極的であった。
・ 文学部くずれで外大に入った。商売をして海外に雄飛するというような気概は皆無であった。
・ 東洋史の外山軍治先生がいみじくも、外大は実学の大学、と言い放っておられた。そのとおりであろう。教養の先生で腰掛的に外大に在籍し、やがて総合大学に移られた先生が何人もおられるが、このような先生方の著書の履歴欄をみると十中八九、外大在籍の歴史は抹消されている。少し残念な気がする。
・ 専攻語の勉強はそれほど熱心ではなかった。WV部活動のほうに熱が入った。
・ 3年時に大学紛争があり、ろくに授業を受けなかった。WV部役員のほうが大変で学外授業(大学は学園封鎖)には一度も出なかった。「創部50周年記念誌」に紛争のことはかなり詳しく書いた。在阪の大学の紛争が収拾する頃、阪大工学部の先生が教授会と学生の板ばさみになって割腹自殺するというような痛ましい事件もあった。
・ WV部も勉強も不完全燃焼のままに卒業し、専攻科に入った。その入学試験で、荒井先生の出題文が卒論作成時に何度も目を通した古典の冒頭箇所だったので、原語を精読しなくてもすらすらと日本語が浮かび、合格できたのは全くの幸運であった。

2.2 社会人生活


・ 英語翻訳を専門に建築土木の設計会社に入社。業界ではめずらしい翻訳部門があった。戦後のGHQ営繕局の発注業務を担当していた部署の流れを汲み、当時は工場プラント輸出の翻訳業務を主にしていた。室スタッフは私を含めて4名。
・ 室長は和英両文の達人であった。大正から昭和の文人・近松秋江の年譜をまとめ大手出版社の文学全集に採用されたり、幕末・新選組高台寺党の研究では在野でも著名な方であった。仕事は楽ではなかったが、自由闊達な雰囲気であった。
・ 入社2ヶ月目に構造力学の社員論文を英語に翻訳。室長の真っ赤な添削は今でも大事に保管している。
・ 技術翻訳を14年やった後、社内の大規模な機構改革に乗じて技術系職員として現業(プロジェクト部門)に配転要望し承認。その後、今日まで都市計画・地域計画(まちづくり)業務に19年。
・ 文系から技術系という社内でも前例のない配転であったが、翻訳業務で社内のあらゆる分野に接していたので、それほどの抵抗はなかった。

2.3 58歳にて海外業務再開



・ 10数年前に私的なサポート(海外留学時の英文作成)をした縁で東京の後輩よりベトナム・ホーチミン市の都市計画業務の協力依頼があり応諾。今年で5年目。
・ 久しぶりの英語の世界で驚いたこと:
①センテンスの間が1スペースとなって読みにくい。従来は2スペースが基本。
②電子辞書の普及。
③容易な用語検索(インターネット検索で専門用語や英文表現の妥当性チェック)。
④ビジネスレターの簡素化/フラット化。
⑤帰国子女の活躍と脅威。
・ ベトナムの都市計画法制度を主に担当し、翻訳ではない、自分の頭で内容から英文を作る楽しみを覚える。
2.4 地図3題: WV経験と仕事の幸せな邂逅

(1) 地図との出会い




・ 小学校2年の時、父が自宅居間の壁に日本地図を掲示。毎日飽かずに地図を眺める。
・ やがて地理と旅が好きになる。
・ 大きな日本地図の掲示は家内学習上、大きな効果がありお薦めしたい。

(2) Topic 1: ホーチミン市の市街地形状分類

































・ ホーチミン市の都市計画の業務で市街地形状を分類した地図を作成した。
・ 1/5,000の地図を読み込み現場確認して形状を9種に分類。所要3ヶ月。
・ 市街地形状を分類すると都市の形成過程、人口密度との関係、道路インフラの整備密度などがわかる。
・ 交通検討チームによる道路整備密度と重ね合わせることにより、市街地形状分類と道路密度が相関関係をもつことがわかった。

(3) Topic 2: 風水からみた近江八幡市の立地


・ 近江八幡市の業務において、風水思想で同市の立地を調べる機会があった。
・ 調査は韓国の専門家(学識者)に依頼した。



・ 風水は自然からのメッセージを読み取り、人工地物の安寧を確保する「技術」である。中国古代からの歴史があるが、当時のれっきとした「科学」である。現在も中国・台湾・韓国などでは建築物や開発の立地にあたって風水にこだわるむきがある。




















・ 崑崙山に発する5本(中国3本、ヨーロッパ2本)の龍脈の気(エネルギー)が太祖山、少祖山、父母山等を経て最後に龍穴にとどまる。この龍脈(山の起伏の連なり。山脈)の下を流れる気(精気、生気)を読み取り、それをどのように呼び込み、とどめるかが風水の基本技術である。
・ 山脈(龍脈)に挟まれて川(水)があり、川に挟まれて山脈がある。水が流れ行けば山脈も行く。水が合流すれば山脈は止まる。生気がとどまり充溢する地を求める。この地勢のとらえ方は、一見何でもないだが、山野に親しむ我々にとってはうなずけるところがある。









・ 朝鮮半島の太祖山は白頭山、日本のそれは富士山。近江八幡市には富士山からアルプスを横断し、奥美濃から湖北の野坂山地をへて比良山系から琵琶湖をくぐり、長命寺山に至る。







・ 「気」の存在の証明は不可能であるが、自然との調和をさぐろうとする想いは現代にも通じるものがある。
・ 中国の風水思想は時代を下るにつれ精緻になり、流派が乱立するが、日本では複雑化する以前の唐時代に移入され、律令制の崩壊とともに風水の手法は朝廷から下野してしまう。それらは近畿を中心とした各地に近年まで特殊な技能・芸能集団のなかに残っていたらしい。

(4) Topic 3: 土木事業にともなう地域資産図づくり






・ ダムや砂防の大規模土木事業を地域に定着させるために、地域の資産を収集し、付け替え道路の橋やトンネルの名を付けたり、資産集を一般向けに編集する作業を6年間ほど行った。
・ 私は近畿を中心に10件近く担当した。資産地図や登山地図も作成した。徹底した資料収集と読み込み、現地調査など、とんでもない忙しさであった。OB会の現在の役員を引き受ける直前のことで、この一連の業務が終わったから役員を引き受けられたともいえる。(その業務成果の一般向け資料の余部を出席者に配布)
・ 文献資料だけでなく、地元の古老から話を聞くこともあった。湖北の木ノ本町の小さな集落での聞き取り調査のこと。開始30分ほどして、突然に襖が開き、その宅の奥様が両手をついて平身低頭「申し訳ありませんでした」とお謝りになる。「主人がこの土地の古い話をすることなど、これまでありませんでした。アメリカにいる息子に是非とも聞かせたく、隣室で録音テープに録らせていただいておりました。お許しください」と一気に語られた。隣で耳にする話の新鮮さ、豊富さに思わず襖を開けられたのだろう。このように地元でも知られていない情報は多い。





・ 大津市の田上山は、奈良時代は用材を平城宮に供出するほどの緑豊な山であった。過剰な伐採と地質の問題から禿山となり、江戸時代以来、緑の修復にあたり、明治以降は国直轄の砂防事業が行われている。
・ 1998年、この田上山を称えた「田上山五訓」の碑が大津市制100周年記念と合わせ山麓の河川公園に建立された。「五訓」の英文が裏面にあるが、翻訳業務から離れていた時代に辞書を引き引き、片手間に私が作成したものである。翻訳依頼があった時は、客先の自己満足のためと聞かされており、このような形で公開されるとは夢にも思わなかった。韻もふまず、ネイティブのチェックもない全く恥ずかしい内容であると思う。









・ 滋賀県大津市・草津市を流れる草津川は10年ほど前に、天井川から新たに掘削して造られた平地河川への切り替えが行われた。天井川がつねに洪水の危険をはらんでいること、市街地の発展を阻害することなどの理由からである。このように変わりゆく草津川の過去の姿を一般向けに伝える業務を担当した。
・ その業務の過程で草津川の上流部がかなりおおきく付け替えられているらしいことに気が付いた。地形、地質、地名、伝説などから、ゆるぎのない推論と思うが、文献記録の類には一切載っていない。
・ 上流部の付け替えは、古代にまでさかのぼると思われる。上流部の山(龍王山)を守っていた豪族・小槻氏が耕地の安定、水利の確保などの理由から大工事を行ったと考えたい。
・ これらの推察結果は業務の報告書に記載したが、公表はされていない。




























3. むすび

・友をえて猶そうれしき櫻花
   昨日にかはる今日の色香は
・ 永禄十二(1569)年三月、毛利元就が病癒えて旧友を呼び花見をした折に詠んだ歌である。友と再会し、桜がよりあざやかに見え、また友との交わりも一段と高いものになった喜びを詠んでいる。我々の時折の交流を祝うにふさわしい歌だと思う。元就は2年後、病没。享年74。







以上













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