事務局より
報道では知りえない被災地での現状と活動のご様子をお伝えいただきながら、藤村さん自身のボランティアとしての葛藤、これからの決意を心洗われる思いでお聞きしました。現地の皆さん、活動仲間たちとの交流のなかで、WV活動の経験も活かしながら、たくましく成長されていく過程をお話しいただきました。
語り手1: 藤村治輝さん(阪大53期)

「東日本大震災被災地ボランティアと私」

1. ボランティアに関わった経緯について

2008年4月大阪大学法学部法学科入学と同時にワンダーフォーゲル部へ入部
8月一回生の夏合宿にて北岳に登頂し山のすばらしさに感動
この時ワンゲルに大学生活の全てをかけることを決意した。
2009年9月OUWV53期次期リーダー会発足し、53期主将となる。同時に留年を覚悟・確定する。
2011年3月11日14時46分東日本大震災発生
3日後の14日に、引退合宿でもある西表島合宿の出発をひかえていた。決行か中止か激論の末、中止となる。
合宿を中止したことを後悔し、気分が落ち込んだまま新学期を迎える。
5月例会で一年上の山下さん(外大50期)から震災ボランティア参加の誘いを受ける。
6月12日~19日
RQ市民災害救援センターにて初めてのボランティア活動参加
9月24日~30日
二度目となるボランティア活動
10月7日~10日
おそらく今年最後となるボランティア活動
なお、2009年10月18日の外大WV部創部50周年記念パーティには参加させてもらった。



2.被災地のこれまでと今
  • RQ市民災害救急センターは3月14日に立ち上げられた。日帰りを含め、短期間でも受け入れてくれる。RQはrescueの意味。ボランティア団体は多数あり、内容はさまざまである。
  • 当初は、車があっても道路が寸断されており、お年寄りの移動も大変であった。
  • 私自身は、気仙沼市に派遣された。
  • RQ市民災害救急センターがいままでやってきたこと
    (多数あるチームの一例)
    • デリバリーチーム(物資の運送・効率的な配分・情報の共有)⇒現在は、地域支援チーム
    • ひまわりカフェ(避難所の近くでのお茶会)⇒現在は、ひなたカフェ
    • メモっこチーム(被災されたお年寄りの人生の書き起こし)⇒現在模索中
      ほかに、4箇所に展開する現場作業チーム、総務、キッチン、女性チーム(例、おばあちゃんの活動の支援)、子どもキャンプチームなどがあり、前日のミーティングで翌日の活動チームを希望する。
  • ボランティア活動への要求の変化
    • 物資の供給、水道復旧、がれきの撤去は完了し、上記の⇒のようにもとめられる内容が変化してきており、それに応じて組織も変更している。
    • 例えば、「デリバリーチーム」は、若い人の就職やお年寄り訪問、カキ養殖の手伝いなど、自立支援がテーマとなっている。また、避難所近くでやっていた「ひまわりカフェ」は、仮設住宅に移動している。
    • 「メモっこチーム」は、復旧の機をみて最近発足したチームである。お年寄りからの聞き取りに方言の壁を感じている。面白く必要な活動であるが、人が足りない。
    • 我々は緊急支援という形でスターとしたが、これからは人も金も足りない中で、いずれ任意団体からNPO法人化したりとか、「自然学校」のような形をとってはいいのではないか、というような意見が内部では出ている。私としては、関西のような遠くから誰でも受け入れるような姿勢は残していってほしい。いずれにせよ、来年3月頃には変わったものになっているだろう。
  • 被災地の今
    • たとえば気仙沼市内は今でも地盤地下により、満潮時には交通規制がある。
    • 大きな瓦礫は撤去されたが、まだ町に人が住める状態ではない。
    • 仮設住宅の環境も決して恵まれたものではない。これからは防寒対策への気配りが必要である。
    • これからはボランティアの数は減っていく。


3.自分が経験したボランティア活動
  • 気仙沼市本吉町小泉地区で瓦礫撤去作業に2週間従事した。畑に散乱しているガラス、瓦、コンクリート片を撤去した。長い滞在は地元で信頼される結果となった。
  • 小泉という地区に対する自分の思い入れが深くなっていった。当初、この地区は支援が後まわしにされ、忘れられたような里であった。私たちが訪れた時、「こんな所に」と驚きながらも歓迎された。及川のおばあちゃんとの交流が忘れられない。
  • 気仙沼市はこの地区を密かにがれき置き場に予定していたらしく、長い間打ち捨てられていた状態にあったようだ。
  • 人手は常に足りない現実。重機の働きには負ける自分。ボランティアとその中での自分の役割について自問する毎日であった。自分は大阪に帰っても良いのか?そもそもボランティアとは何か?
  • 色々な人との出会いがあった。大勢の人びとに出会い色々なことを考えた。例えば、

  • 小泉地区で会った地元の鈴木君:元市長の子。私と同年齢。祖母を亡くしている。現地の若い人たちでボランティア活動をしている。自分が大阪に戻ることに逡巡していた時に、腹を割って話し合えた。
  • 韓国人のスジンさん:6月に2週間の夏休みをとって来日。現地の状況に驚愕しながらも、大人としてしっかりとした考えをもっている。
  • 横浜の加藤君:6月の時に会った。来年卒業し、今年の夏はカンボジアに行ってエイズの子どもをはげます活動をする。自分を捧げる姿勢に感動した。
  • RQのおいちゃん(及川さん):「自分たちの土地をきれいにしたいという気持ちをもってもらうことが役割。がれき置き場の反対運動することがボランティアの目的ではない。周りの人たちの気持ちをやわらげることが大事。」という、活動に対する明快な考え方に心を打たれる。
  • 活動を終えた今、少し不謹慎かもしれないが、「ボランティアは楽しくてよい。しょんぼりしても仕方がない。笑って復興に向かえる、現地に行けることが大事である。」と考えている。
  • そして今の自分にできることは、鈴木君の約束を果たすことである。すなわち、鈴木君は現地で、私は大阪でそれぞれに頑張って、東北を忘れない、どこでも頑張れる、という約束を果たしていきたい。
[質 疑]
Q:ボランティアと地元自治体の関係は?
A:両者は切り離されている。行政の動きは全く知らされない。直前になって動きが伝わってくる。
Q:赤十字に集まったお金が有力なNPOなどに支給されたと聞くが、そのようなNPOとつながるようなことはあったか?
A:RQを通じて海外からの団体をふくめそのようなNPOなどが支援活動をおこなうことがあった。そのような団体が赤十字の支援を受けているところがあった。
Q:例えば、ファミリーマートは被災地での開業資金を無料にするとかいう報道があるが、現地の人はそのような情報を知っているのだろうか?
A:仮設住宅に住む人は外に出る機会があまりなく、そのような情報を知ることがない。地域のネットワークがない。そのような情報伝達の役割を我々の活動のなかに組み入れることが必要だという意見がある。
Q:ボランティア活動は学業の評価対象になるのか?
A:活動の申請と報告は大学にしなければならないが、残念ながら単位にはならない。私自身、沢山の単位が残っているが、それを知って大学からは今被災地に行かなければならないのか、と申請時に嫌な顔をされる。
Q:大学がバスをだすとかいう支援はないのか?
A:学生側にバスを共同チャーターするという動きはある。大学側がお金をだすということは聞いていない。











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