事務局より
お若い時代の脱線ぶりから、寺での飲み屋開業まで、OBのなかで唯一の現役僧侶、広岡さんのお話に会場は抱腹絶倒の連続。今なお浪花の街をあぶなっかしく逍遥しながらも、仏の道はしっかりと守っておられます。読経の実演を交えながら、落語の一席を聞くような味わい深いお話でした。
語り手2:広岡義昭さん(5期)

「蓮如と私」


事務局の口添えもあって、立派なタイトルにしたが、「蓮如 私の尊敬する人」といった意味でお話をしたい。
7・8年前から本をよく読み出すようになった。太宰治の著作は何度も読み直している。『人間失格』の冒頭は、「恥の多い生涯を送ってきました。」で始まるが、私は自分の人生を恥ずかしいと思ったことはない。そんなお話である。

蓮如
蓮如(1415~1499)は、浄土真宗中興の祖。蓮如がいなかったら、今の浄土真宗はないといわれる。「正信偈」(しょうしんげ)をはじめ布教のための著作も多い。金閣寺・銀閣寺建立、応仁の乱の時代である。本願寺直系八世。当時の教団は衰えていた。85歳で没。27 人の子どもがいたとされる。とくに、最晩年の10年間に7人の子どもを設けた。元気なおじいさんである。
先日のNHK『クローズアップ現代』で、卵子は老化・有限、精子は使えば使うほど増産、女性は20代前後が懐妊適齢期、と報じていたが、蓮如の晩年の盛んぶりに納得できる。
一方、浄土真宗の開祖である親鸞(1173~1262)は90歳で没。壇ノ浦、源平合戦の時代の人であるが長生きである。親鸞の子どものことについてはあまり書かれていないようだ。かといって、親鸞のほうが蓮如よりまじめであったということではないだろう。



私の寺

私の寺は、浄土真宗本願寺派(お西さん)「嘉兆(かちょう)寺」(阿倍野区)。大学卒業後、56歳まで中学の英語教師であった。31歳の時に父が亡くなり、32歳から寺のことを通信教育で勉強しはじめた。にわか坊主である。親鸞のように、9歳から比叡山で勉強をはじめたような、えらい坊さんではない。不信心な坊主である。学生時代は無宗教思想に関心があった。
法衣の恰好で立ちション、信号無視をよくやり、おまわりさんに「おじゅっさん、そんなことやったらあきまへんで」と何度も注意された。NHKのラジオ深夜番組に東京芸大の元学長が出ていたが、この人も立ちションをよくやったらしい。少し安心した。でも、嫁さんは私と一緒に歩くのを嫌がっている。
50軒あった檀家も今は5軒。これは都心人口・世帯の減少によるところが大きいが、檀家としての所属を辞めた家もある。寺は三代目でつぶすとよくいわれるそうだ。嫁さんは、ここらで酒ばっかり飲みまわって、悪いうわさが広まっているというが、私の耳にはそんな話は少しも入ってこない。
檀家を新規に開拓することはできる。門前に「本堂を自由にお使いください」と張り紙している。初参式(お宮参り)、通夜、初七日、法事など、料金は安く設定している。
近くの公益社から年に1度ほど手伝いの声がかかる。20万円くらいもらえる。他寺のアルバイトもやっている。6:4の割、4がこちらの取り分である。3,000円くらい。読経に定価はない。
最近は、親族の絆が弱くなっている。家族葬、密葬が多い。仏壇に手を合わすこともない。自分の家の宗派を知らない人さえいる。
葬式8万円。浄土真宗は戒名(真宗では、法名)代をとらない(会場から異論あり)。同期の柳と奥さんには依頼されて法名を付けた。
葬儀屋には許可がいらない。必要なのは、死亡診断書の届け出、霊柩車、焼き場(火葬場)の予約。市内瓜破(うりわり)火葬場での焼き料1万円(市民)、4万円(非市民)。2・30人が入れる場所があったらできる。
寺院経営はふつう檀家数100軒あれば安定といわれる。しかし、忙しくなるのもかなわないというのが本音である。
本山に毎年、30万円ほど上納している。後は一切無税。




併設飲み屋「嘉(よし)」
今、寺で飲み屋「嘉(よし)」をやっている。今日は、その時の恰好で来た。木金土の三日間。夜11時から午前3時までの営業。
開業にあたって保健所に問い合わせたら、ビール、乾き物を出すなら飲食業開業免許はいらないとのことであった。
昨日の客は一人。ビール2本、お酒1杯で計1,500円のところを3,500円置いて行った。差額はお布施のつもりなんだろう。坊主丸儲けであるが、坊主(儲けなし)でもある。「坊主」の意味は広い。同期の柳は税務署のことを心配してくれるが、税務署が神経をとがらせるほどの利益はとてもあがっていない。これまでの月別最大利益は2万円足らずである。
酒代稼ぎ、小遣い稼ぎのつもりではじめた。当初は、店の案内に「料理」と書いていたが、「写経」と書き改めた。日曜学校のようなものを開いたらいいのにと言ってくれる人もいるが、私にはむいていない。教え方がへたである。
ビールだけで始めたが、客の求めもあり、「酒の楽市」で安く買った焼酎を置いている。今はウイスキー、日本酒もある。ビール1本で300円の利益。熱燗は電子レンジでチン。
18畳の本堂でやっている。20人くらいは入れる。持ち込みも可能。時間も自由。
「OBの同期会もできるか?」(会場より)
「どうぞ。2・3日前に言ってもらったら早く開けることもできる。」(広岡)
「葬式が入らないか?」(会場より)
「そんなんめったに入らへん」(広岡)
「OB会員に割引価格で葬式の予約をしてもらったらどうか。8万円のところを5万円でとか。」(会場より)
「なるほど。考え方ではぼろい商売。お経30分でそれだけもらえたら。」(広岡)
「ちゃんとしたお経で?」(会場より)
「はい。ちゃんとしたお経をあげさしてもらいます。」(広岡)
店の営業時間中、客がいなくても本堂で一人でいる。お経を聞いたり、本を読んだり。心が落ち着く。


本業紹介(読経実演)
教師時代、うつ病で3回、各2年、計6年間病欠している。今の大阪市政下ではとても考えられないことだが、給与は全額、ボーナスは半額支給された。その間、本山の勤式(ごんしき)指導所でお経を徹底的に指導された。
「お経はみんな覚えてるか?」(会場より)
「覚えていない。お経は無尽蔵。毎日使うお経は覚えている。短いお経でも覚えていないものもある。」(広岡)
「お経をやっていたらご利益はあるか?」(会場より)
「わからない。やらないよりまし。」(広岡)
「儀式の袈裟の色は、どのように決まっているのか?」(会場より)
「本山で勤める時は、色が違う。寺の格(序列)で色が違う。嘉兆寺は末席。紺に近い水色。色衣(しきえ)という。」(広岡)
(読経実演。別紙参照。)
この4つのお経をすべて上げ終ると25分くらいかかる。忙しい寺は短いもので済ませている。檀家が少ないから、次の檀家が待っているわけでもなく時間の制約がない。檀家の読経にはたっぷり時間をかけている。
「お経を解説してもらえませんか。」(会場より)
「お経については沢山の人が本に書いている。あまりくわしくは知らない。意味なんかどうでもいいんです。ほんま、ほんま。」(広岡)

学生時代
昔から地図を読むのが好きだった。「あんた教え方へたや、もっと教え方の勉強し。地図なんていつでも見れるやろ」といって、何人かの先生にしかられたことがある。
当時は、国立大学は一期校、二期校の時代である。一期校は市大家政学部を受けて合格した。料理を学び、船に乗ってコックをやれば、外国にただで行ける、という野望であった。入学した女子学生は100名以上で男子は2名。身体検査があって、男子は女子よりも先。男女の順が逆だったら、大騒ぎであっただろう。二期校で外大に入れたので。外大に。英語の先生をするとは思わなかった。教職科目は父のすすめがあり、最初からとっていた。
1年の春合宿。傾・祖母の後のPWで故・白井さんに連れられて屋久島宮之浦岳に行った。時間切れで鹿児島大学WVの4張りのテントにめぐり会い、寝させてもらった。食事ももらった。あやうく遭難しかけた。その後の白井さんは、この件を語ろうとはしなかった。自分に判断ミスがあったと思われていたのだろうか。
2年の夏、飯豊朝日で50m転落。前頭部骨折。新潟県に1ヶ月、大阪警察病院に1ヶ月入院した。
あれはほんとの遭難。ひとりで勝手に落ちた。私の不注意。あとから聞くと、よく転落する場所らしい。柵もなにもない。
「あの時、私は広岡さんの後ろを歩いていた。ゴールまであと30分の所だった。路肩に寄りすぎておられたようだ。」(会場・和田)
「頭に何か障害が出るという話であったが出ていない。」(広岡)
「ほんとか。とっくに障害は出てるんとちゃうか。」(会場から。笑。)
1964年東京オリンピック開会式の日、3期の軽部さんに連れられ、能勢にPWに出かけた。栗林に落ちている栗を失敬して食べた。生栗でも意外においしかった。あの味は忘れられない。
翌年、2年の阿蘇外輪の春合宿では、高森の公民館現地本部詰めであった。バスに乗って熊本まで出かけ、熊本城の公園でごろ寝をしたりした。つかの間の離脱行動であったが、こんなことは記憶によく残る。

結婚、妻への借金
27歳で見合い。29歳で結婚。同じ頃、私より先に柳、細谷、川島、切石の同期が結婚。
子どもは二人。蓮如に負けている。
うつ病で北野病院に入院。色んな医者のカウンセリングを受けたが、結婚生活になじめないのが原因ではないか、といわれた。結婚するまでは野放図な生活をしていたせいか、結婚で枠に縛られ、そこに反動、無理があったのではないかというのだ。
うつ病の薬は、以後40年近く飲んでいる。薬をやめるリスクよりも、呑み続けるほうがよい、という診断である。酒との併用はだめなので、薬がたまる。薬をのまないと、寝つきが悪い。
太宰治は、酒にも女にもだらしがなかった人らしい。4回の自殺未遂、女性も道連れにいつも生き残り、39歳に心中成就。それでも、あんな作品を残してすばらしい。太宰治にあこがれはしていない。私は、今や69歳である。
ボッカチオの『デカメロン』も愛読書である。1300年代の好色本、艶笑本。森田草平の訳文はよみづらいが、‘百何字伏字’という表記は独特の雰囲気を出している。いつか全文を読んでみたい。
習字と社交ダンスを習っている。月3回3,500円、月4回6,000円。西成区の「たまちゃん劇場」というカラオケにときどき行く。3、000円のお弁当がついて歌謡協会の先生3人がそれぞれに批評してくれる。
小遣いはずーつと3万円であったが、10年前に5万円にあがった。嫁さんは、小遣いの貸しを記帳している。210万円の借金がある。飲み屋で稼いで返す、と答えているがむずかしそうだ。
母は大正5年生まれの96歳。脳梗塞で倒れ8年間入院したきりである。母がいなくなったらピースボートで100日間世界一周(99万円とか80万円とか)しようと嫁さんに持ちかけるが、日本のほうがいいという。

教師時代
中学教師時代は、水泳部、サッカー部、陸上部、ソフト部、英語部などのクラブ活動を手伝った。先生が手分けしてどれかを手伝わないといけなかった。
摂陽中学時代、信用失墜行為で教育委員会に呼び出しをくらったことがある。荒い口調で事情聴取され、こちらも調子に乗って口答えした。バス定期代が出ていながら自転車で通勤していることが問題にされたのである。罰金(返却)をとられた。その後、人に聞くとこのような場合の通勤代について特段に差し引かれる筋合いはないらしい。
「私学でも同じ扱い。車通勤をしても今は問題ない。」(会場より)
生徒にすぐなめられて、なぐられ、けられた。パンダ顔は頻繁であった。女性教師は警察に訴えるように勧めたが、それはできなかった。新婚旅行(伊豆半島伊東温泉)の前、鶴見橋中学で肋骨骨折。
酒の失敗で退職した。松虫中学のちかくの飲み屋の主人といさかいを起こし、校長(女性)の耳に入った。校長との会話の中で「鬼瓦」と言ってしまった。嫁さんが校長から近くの喫茶店に4・5回呼び出された。何回目かに嫁さんがもうやめてもいいよ、と言ったのでやめた。56歳。
税金の無駄使いといわれるほどに、パトカー、救急車に何度も乗った。35歳のときに京都・七条署に留置された。わざと臭い畳が敷かれている。とても寝れるようなものではない。においだけでも閉口した。



密かな楽しみ
学生時代は、伏見ミュージックなど、ストリップ劇場によく行った。
最近、テレビを消音にして観ることがある。エッチな想像がふくらみやすい。NHKの体操の時間はとくにお奨めである。
「先生、坊主はだいたいスケベーや。」(会場から)
「坊主、警察官、医者。抑圧されているからかではないか。でも、私は抑圧されていない。」(広岡)

質 疑
Q1. 広岡さんの奥さんは偉い人である。離婚話はなかったか?
A1. 嫁さんは、私の友人の兄から冗談半分で離婚しろと何度も言われているようだ。ラブラブではない。馬鹿に思われている。嫁さんはこの頃、「おはよう、おやすみ」のあいさつに返事もしない。
Q2. 広岡さんのように自分の失敗談を人前で言えるものではない。悟りを開いておられる。
A2. とんでもない。恥知らずなだけである。
Q3. 店「嘉」について同業からクレームはないか?
A3. ない。お寺関係の同業が来ることはある。こんなことができるのか、と感心される。

以 上












inserted by FC2 system