事務局より
生物とは何なのか、生物はどのようにして発生するのか、我々は生物をつくることができるのか。生物の不思議について、その一端をわかりやすく、面白くお話しいただきました。人間のもつ計算ずくの合理主義が到底及ばない、自然の力の存在を知ることができたと同時に、その再現に果敢に挑戦する人間の努力についても教えていただきました。
語り手1: 卜部 格さん(阪大8期)

「 当たり前のようで不思議な存在『生き物』をわかる?」
    


・私が生まれたのは、昭和20年2月28日。明石市の西10kmほどの海沿いの江井ヶ島。今もそこに住む。祖先は卜部神道(吉田神道)と関係があるようだ。
・阪大WV部の8期であるが、外大の6期に相当する。
・家は造り酒屋。甥が今も酒を造っている。田舎の酒屋であり一族でやらないと酒は造れない。兄を含め全員が会社組織(江井ヶ嶋酒造)に入ってやっていた。この会社に入るには少し抵抗があり、親が文句を言わない大阪大学の発酵工学科への道を選んだ。
・発酵学科のあるのは、ほかに広島大学と山梨大学。大阪大学の発酵学科は、灘あたりの酒屋さんの声掛けもあったのだろうか、前身の大阪工業大学時代にできた古い学科である。
・卒業すれば、会社に戻らなければならないから、入学後、退職するまで大阪大学にずっといた。当時は、学科と学生数の増加、好景気によって、講座の数が増え助手の口も増えてきたという事情もあり、博士課程後期の2年の時に助手に採用された。
・お酒だけではなかなか研究・教育の対象にならないので、私は生物工学、なかでも酵素(タンパク質の触媒)が一応の専門である。
・しかし、大学でいそしんだのは、主に学生と遊ぶことであった。とくに助手時代は、午後3時頃になるとテニス、暑い時はビール。WVのおかげでハイキング。学生との旅行。能登半島の帰りに白山に学生を誘ったりした。学生の求めで富士山に連れて行ったこともある。走るのが好きで、学生らと篠山マラソンに参加。マラソンの後は一泊してボタン鍋をつついた。篠山マラソンは20回ほど完走している。
・2008年3月に退職し、翌月から自由気楽な身となった。研究・教育の道はすっぱりと断って、家内を巻き込みまた遊ぶことにして今日に至っている。



1. 生き物
(1) 生物と無生物の区別方法は?
(会場からの回答)
a. 動くか、動かないか。
b. 細胞があるか、ないか。
c. 成長するか、どうか。
(これらの回答に対して)
a.「動くか、動かないか」 寝ている時はどうなのか。
b.「細胞があるか、ないか」 わざわざ顕微鏡を持ち出さなければわからないものなのか。
c.「成長するか、どうか」 長期間観察しないとわからないものなのか。
・ 人間が生きていくうえで、生物と無生物の区別は大事なことであり、自然に身に着けている常識的な能力である。
・ たとえば、カビは生物であるとふつうは認識されているであろう。では、インフルエンザのウイルスは生物か無生物か?
(会場からの回答)
生物 16票、無生物 3票、どちらでもいい 1票
・ このようにウイルスについては生物・無生物の認識はまちまちである。この認識の程度は回答者が帰属する集団によっても異なってくる。
・ ちなみに、ウイルスは数は増えるけれども成長はしないし、風で飛ばされることはあっても自らは動かない。
・ 生物の定義をどこかに置かなければならないが、確固たる定義はない。自分自身で立場や目的に応じて定義しなければならないのが現実である。
・ 一般的な傾向としては、自分に近いもの(仲間)を生物、自分に縁のないものを無生物として認識するようである。
・ 生物と無生物の区別は、普通に暮らしておればさほど重要なことではない。ところが、たとえば地球外惑星に生き物はいるか、というような話題が出てきた場合には、生物の定義をはっきりしておかなければならない。NASAなどは、実際に適用できる範囲内で定義しているはずである。

(2) 生物のイメージ
・ 境界のない、ただ漂っているだけのものを生物とよぶには抵抗がある。物事には境界がある。生物にも境界がある。膜がある。
・ 膜の中には中味ある。ひとつが遺伝子(DNA、RNA)。遺伝子を膜で包んだものがウイルス。細胞には、タンパク質と酵素。酵素はタンパク質の触媒。化学反応を起こさせる。
・ 外から色んなものを取り込み、化学反応で色々と変えていき何かを出す。モノを取り込んで変化させ出すという流れがある。通常は、餌がなくなったり、糞づまりをすると、流れがなくなり平衡状態。すなわち、死んでいる。ただし、冷凍人間や胞子、長年眠っていた古代ハスのようなじっとしている生物の例外もある。

(3) 生物の歴史
・ 宇宙の誕生が137億年前(±1億年)
・ 地球の誕生が46億年前
・ 地球に生き物が誕生したのは35億年前(±5億年)。石に見られる痕跡(穴の大きさ、穴の分布状態、炭素質の残渣など)より判定。
・ 生物は何もない所から発生した。

2. 暗黙知と形式知
(1) モノのわかり方(暗黙知と形式知)
・ 暗黙知(各個人が実際に使う「知」)と形式知(記号化され、社会で共有できる「知」)

暗黙知 形式知
生物/無生物の区別 定義
会話 文法
身体で覚える 言葉(記号)で表現
職人技 マニュアル
悟り 理解
個人の知 社会の知

・ 個人の暗黙知を社会で通用する形式知に書き換えることによってはじめて皆が何かができ、さらには各個人の暗黙知となる。
・ 暗黙知を形式知として体系化するのが学問である。逆にいえば、形式知にできない暗黙知は、学問の対象にならない。

(2) 生き物について、どこまでわかっているのか
・ 生物について暗黙知的にはよくわかっていると思われる。
・ 形式知としては、たとえば遺伝子については4種類の記号の並びを読み解くことによって今では生物の種別・親縁関係を即座に知ることができる。昔は何十年もかかっていたものが今はテクノロジーが進歩して1日、2日でわかる。酵素についても、その立体構造、アミノ酸配列、化学反応の内容もかなりわかっている。
・ このように生物は部分々々としてはかなりよくわかってきている。昔の高校の生物を思い出していただければわかるように、イモリとヤモリの違い、爬虫類と両生類など、分類を教えるのが主であった生物学の関心が変わってきている。
・ 部品・材料を組み立てて生物に仕立てる形式知がまだわかっていない。実際の生物は新しい生物(子ども)をつくっている。
・ 部品・材料を細かく知ること以上に、それを組み立てる方法を見つけ出すことが重要である。

3. 生き物の面白さ、難しさ
(1) 複雑系
・ 子どもや動物の表情やしぐさを見ていると面白い。刻々と変わる雲の動きや水の流れを見ていてもあきない。一方、ネオンサインがくるくると変わるのを見ていてもはじめは面白いがすぐに飽きる。パターンがわかってしまうと面白くない。子どもや雲の動きにはパターンがない。二度と同じ状態はとらない。必ず違う。
・ これが複雑系の特徴である。複雑系とは、決定論的法則に従っているが、予測不能な系のことである。ひと言で言えばごちゃごちゃとしたシステム(系)のことである。構成要素の数が多くて色々な相互作用をしている。
・ 大気の流れや生き物をはじめ世の中のほとんどが複雑系といえる。
・ 複雑系の世界の簡潔な事例(実演)。ボールを落とすと落下地点は予測がつく。紙切れを落とすとどこに落ちるかわからない。いずれもニュートン力学の法則によっているが落ちる所が違う。



・ 学校の授業では複雑系による予測は教えない。点数がつかないから教えられない。
・ ボールであれば、ボールを質点(重さだけある位置)とする理想系にしないとニュートン力学が成り立たない。こうすれば正しい予測ができて学校で教えられる。
・ 世の中の実際は複雑系である。その一方で、ニュートン力学の法則のような決定論的法則は知っておかなければならないというのが現実である。

(2) わからないが、不思議ではない複雑系
・ 朝晩の天気予報は、現時点の大気の流れのデータを流体力学の法則を使って大型コンピュータでシミュレーション計算した結果である。ノイマンがコンピュータを開発したのは、天気の制御が目的であったという。短期の予報は当たるが一か月後や二か月後の天気予報は当たらない。1度や2度の気温の予測差は大きな問題とならないが、雪か雨かという微妙なところまではまだ予測できていない。天気の予測は計算量は莫大であるが理論的な計算は可能。
・ 生物の寿命も細胞の変化、老化等を予測しておおよその寿命を出せないわけではないが、ファクターが多くて個人の実際の寿命予測は無理である。ただし、平均寿命はわかる。だから生命保険業が成り立っている。けれども個人の寿命はわからない。多数の実際の寿命がデータとして蓄積されているから平均寿命が出せる。すなわち、ある一定の範囲のなかで、ある確率でどうなるかはわかる。
・ 複雑系は、基本的には予測できない。どうなるかわからない。そうだとわかればあきらめる。わからないシステムであると悟るのも重要である。地震予知や気象予報に金ばかりかけてもとことんのところはわからない。大雑把な予知や予報でよい。わからないものはわからない。やればやるほどわかるという姿勢はおかしい。無駄でもある。
・ 生き物もわからない。しかし、わからないからといって不思議ではない。むずかしいだけである。

4. 生き物の不思議さとは何か
・ 歴史のところで述べたように、地球が46億年前に誕生し、それから10億年ほどたって生命が誕生した。生命が何かしら自然に勝手にできた。神が天地創造したということで納得できる時代ではない。生命は自然にできた。しかし、部品はわかっていながら我々は生命をつくれない。このギャップは何なのか。勝手にできるからできやすいはずであるが、いろいろ工夫してもうまくいかない。
・ 雲や川はつくろうと思えばつくれる。ウイルスは一応つくれる。遺伝子の配列を決め合成すればできる。ほかの細胞にかけて増やすこともできる。ロボットもかなり立派なものがつくれる。
・ 勝手にできた生命がなぜつくれないのか。ここに生命の不思議さを感じる。
・ モノをつくる時に自然のやり方と我々のやり方が違うようである。我々にはつくりたいモノに対する意図があり、理屈があり、設計図がある。それに従ってつくればモノができる。
・ 生命は人間がモノをつくるような方法ではうまくつくれない。生命は無目的につくられる。かといって、部品をほったらかしにおけば我々が生命をつくれるというわけでもない。腐るか、微生物が発生するだけである。
・ 自然は、いろんな環境にいろんな材料を置き、自然にできるものをつくっている。いわば、無数のラボをもっている。膨大な数の自然な実験のなかでいくつかのものができてくるということではないだろうか。
・ 我々もそのようなアプローチで実験はするが、限られた時間のなかでは自然がやる実験のスケールの比ではない。
・ タイムマシンに乗って、生物の誕生の経緯を観てみたい気もする。しかし、その観察の時間は1億年単位の長さである。観察場所も無数にあるから、生物の誕生に遭遇するチャンスは無いに等しいだろう。見に行こうとしても見えない。
・ 生命には自分の子孫をつくる能力(自己複製)がある。私のいた研究室では、この複製システム(人工細胞)をつくろうと取り組んでいる人がいる。ある袋に遺伝子を増やす酵素を組み込み、ある濃度になれば細胞分裂するようなものにする仕組みである。少し生命ができかけているという状況ではあるが、自然にできたというのではなく、ある意図のもとに研究されたものである。
・ 生命は自然にできたものである。苦労してできたものではないということをわかっていただきたい。自然とはそのようなものであり、そのようなキャパシティをもつものである。
・ 地球のような惑星はどこにでもある。宇宙はある種無限大である。恒星であれば10個に1個ぐらいは地球のような惑星があっても不思議ではない。
・ 生命は一定の環境のもとで勝手にできるものであるから、これらの星にも生命に類似したものができると思う。人がひとりひとり違うように地球と同じ生命はできない。地球ですらやり直すとしたら同じ道をたどるとは思われない。複雑系である。




質 疑
Q: 人工細胞のような研究をしてよいのかどうか?
A: 良し悪しよりも、生き物をわかるために、生き物っぽいものと生き物っぽくないものの境目を見極めようとしている。細胞分裂をすれば生き物。ウイルスは遺伝子のレセプターさえあれば簡単につくれる。良し悪しはむずかしい。倫理委員会のようなものを設けることにはなろう。

Q: 学生の頃に科学雑誌『セル』を読んでいた。そのなかで一番面白かったのは、有機物から生物をつくる実験の紹介記事であった。メタンやアミノ酸から核酸をつくるような内容が書かれていた。核酸も生き物なのか?
A: それは無機物から有機物ができるかどうかについて、ユーレーとミラーが色々と実験した。原始時代の地球環境の要素である硫化水素、水素、水、炭素、窒素などを混合させたり、煮たり、加圧したりして有機物の生成を実験した。その仕組みは2段構造で巧妙。いったんできだものを熱分解しないように上にあげトラップしながら循環させ一部を取り出して有機酸やアミノ酸を生成した。ほかに電気火花(雷)や放射線を当てたりして有機物をつくり出す実験など、当時は色々と盛んであった。生物そのものはもちろんできないが、タンパク質、有機物はできる。ここまでできるのならば生物もできるのでは、という期待があって色んなレベルで実証研究をやっている。

補 足(お奨め)
・ 文系の人たちは科学は特別なものと思っておられるかもしれないが、サイエンスとはそうではなくて、色々な方法論があり、限界があり、普通のものである。そのようなことがわかる本として中谷宇吉郎「科学の方法」(岩波新書)を是非ともお読みいただきたい。大変わかりやすい本である。














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