事務局より
入部のいきさつからヨーロッパを経て台湾駐在で存分にご活躍された様子まで楽しくお聞かせいただきました。横西さんの環境への適応力とその活用力は、ワンダラーとしての特性に与るところも大きくなかったかと感服の連続でした。
語り手1: 横西 慶宗さん(9期 朝鮮語科)

「台湾雑感」


プロフィール
1947年12月、広島県能美島(現在は江田島市)生まれ
1966年4月、外大朝鮮語学科入学
1967年4月、ワンゲル入部(春合宿に7期北村さんのパーティ10名ほどが東能美島を来訪。役場に勤めていた父の紹介で実家に宿泊。春休みでたまたま帰省していた私と口を交わしたのがきっかけで勧誘・入部)
1970年4月、塩野義製薬入社
1976年1月~1978年9月、西ドイツ駐在(新製品のヨーロッパへの販売強化の方針のもと、先輩と二人でデュッセルドルフに現地法人設立)
1984年8月~11月、韓国延世大学語学堂に語学留学(韓国への販路拡大の会社方針。1年くらい居るつもりが早々に帰国命令)
1992年3月~1996年3月、ドイツ駐在(新製品開発の頭打ち>販売会社の閉鎖。立ち上げた会社を自身の手で幕おろし)
1996年4月~1997年8月、スペイン駐在(ドイツから横滑りで、米国の製薬会社の買収にともない同社のスペイン工場を監督。もっと居たかった。ジブラルタル海峡をフェリーで渡りモロッコを車で一周)
2002年7月~2013年1月、台湾駐在(役職定年間近、部署統合によるポジション減少、先任責任者の定年といった事情から台湾へ)
2013年3月、定年退職(65歳)
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台湾駐在(2002年7月1日~2013年1月19日)
(はじめに)
・ 大先輩である1期・田中健次さんが『台湾よ何処へゆく』(2006年5月文芸社刊)という本を出されている。
・ この本は、台湾についての歴史的な経緯をふくめ大変よく書かれている。これを読めば台湾の陳水扁総統時代までの大体のところがわかる。日本図書館協会優良図書になっているのもうなずける。OB会有志が主催した出版記念パーティ(2006年6月1日)の報告(4期・多田さん執筆)によれば、1期・橋本二郎さんは「熟成されたワインの味のような本である。数奇な国として揺れ動いた台湾への愛情に感銘を受けた」と評されている。
・ 台湾駐在中の私は、同期の加藤尚平君からの送付によってこの本に接した。1期の大先輩、それも中国語科とも関係のなかったフランス語科卒業の先輩がこのように台湾に愛情を注いでおられることに大きな感銘を受けた。
・ 本日は、この本とは少し外れた、この本に書かれていないような観光や遊びなど柔らかいことについてお話してみたい。
(中国語)
・ 韓国語をやり、現地に行ってはドイツ語とスペイン語をかじりかじりしていた私。台湾に行って中国語をやらなければならない状況となった。
・ 台湾の中国語は一般的な北京語とは異なる。字体が簡体字でなくて繁体字(旧漢字)。
・ 中国語の1は“イ-”、韓国語で“イ-”は2。最初のうち、発音を聞いて頭が混乱した。
・ 台湾式中国語(標準語)は大陸のように巻き舌の発音がなく、口の運動にはやさしい、日本人には発音しやすい。
・ 実際は、北京語のほかに、台湾では中部、南部、台北でも地場の言葉である台湾語を平気で使う。それらを平気で混在させてしゃべるのでさっぱりわからない。わからない時は大体、台湾語であることが多い。台湾語には、基本的に文字(漢字)がない。台湾語のほかに、客家語、アミ族(原住民)等の言葉がある。台湾では、「原住民」は差別語のような意味合いはなく、みずからのアイデンティティを明示するために積極的に用いられている。
・ 企業では、ハンディキャップのある人とマイノリティを一定人数雇用しなければならないという規則がある。
・ 台湾では発音記号にボポモフォという特殊記号が使われており、これがわからないと携帯電話、パソコンのキィボードなど生活上基本的な表記が理解しにくい。大陸の中国語の注音記号は才并(ピンイン)。ローマ字風でこちらのほうがなじめる。ボポモフォを覚えたが、今では忘れてしまった。使わないと忘れてしまう。台湾に滞在されることがあれば、ボポモフォを覚えておくことをお奨めする。

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ボポモフォ(上段)とローマピンイン(下段)

(仕事)
・ 2002年7月に赴任し、半年の見習い期間を経て2003年1月より現地の総経理になる。
・ 間もなく2003年4月に大陸でSARSが発生し、その対応に約3ヶ月間振り回される。空気感染なのか、飛沫感染なのか、最初はわからなかった。原因・経路がわからないので、倉庫の荷物を分散したり、銀行ではオフィスの人間を分割して配置したり、色んなケースを考え、各社は対応に苦労した。
・ 従業員の毎日の体温を管理。38度以上の発熱者は自宅待機処置。入室前の手の消毒習慣は現在も継続。日本の本社に対応策の指示を仰ぐも前例なし。台湾の騒ぎがBCP(Business Continuity Planning)の作成とパンデミック対応へのSOP(Standard Operating Procedure)作成の契機となる。
・ 日本への出張者は待機、台湾からの一時帰国子女はバイ菌扱いを受ける始末。
・ 台湾は日本の面積の約10分の1、九州より少し小さい程度。薬の市場規模は日本の山口県の規模に相当する。山口県は武田の光工場など製薬産業が盛んで日本のなかでもトップクラス。
・ 台湾にも薬価制度があり、日本と同様、薬剤費の抑制政策のもと薬価がどんどん下がっている。市場規模は少しずつ大きくなっているが、新しい薬品が出ず、古い薬の薬価が下がり、商売は苦しくなっている現状。
・ 日系を含め外資系の製薬会社は台湾に工場を持っていたが、コスト高になること、新製品がなく自社工場で親会社の製品を製造するメリットが減少してきたこと、工場のグレードの規制(PIC/S GMP ヨーロッパ版GMP)強化による設備投資などのため、生産が難しくなってきた。自社も滞在中に工場を閉鎖した。
・ 販売は一定規模が確保できるが、生産は稼働・維持できなくなった。工場を身売りし、他社に製造委託という会社が多い。欧米系で工場を持っているのは1社、日系で数社。
・ 市場規模の大きい大陸にどのように展開し、そのなかで台湾の意義をどこに求めるかが各社の課題。
・ 台北市日本工商会(商工会議所)の15産業部会の一つに医薬品部会があり、日系企業18社が加盟。月1回例会で情報交換。現地当局の規制等の情報を翻訳し、負担を共有。
・ 中華民国開発性製薬研究協会IRPMA(International Research-based Pharmaceutical Manufacturers Association): 日欧米および台湾の主要な研究開発志向型製薬メーカーで構成(団体会員25社、個人会員11名)
・ IRPMAを含め、団体として薬業8大公会がある。この種の団体は名誉職としての側面もあり統合されることがない。



(ゴルフ)
・ IRPMAには、業界活動の他に、ゴルフの親睦会がある。IRPMAは売上高に応じた会費を収める必要があり、費用対効果の面から脱会したが、ゴルフの付き合いは続く。
・ 薬業界が実施している、親睦ゴルフ会は、月例でIRPMA(第一土曜日)、薬業隊(第二土曜日)、医薬品部会(第四土曜日)がある。隔月で合同部会(第三土曜日)。
・ 業界以外では、日本人会(第三日曜日)、二水会(偶数月第二水曜日、奇数月第一土曜日)、合弁会社部会(3ヶ月に1回第三土曜日)。その他、飲食業界が駐在員向けに実施。
・ 台湾には18ホール以上のゴルフ場が57カ所。戦略的にすべてのゴルフ場を回った。
・ プレー料は円安で当時はそれほど高くないと思っていたが、今考えると髙い。平均的なゴルフ場で3,000元(1万円=2,700~2,800元)。1万円を超える。キャディ付きが基本。日本では、平日、キャディ無し、昼食付きで6,000~7,000円であるから台湾は高く感じる。
・ 雨が降れば無断で中止をしてもとくに文句は言われない。
・ 10年間(2002.7.1 ~ 2012.12.31)での総ラウンド数は1,134ラウンド。1,000回目には記念品を配った。平均年間100回。駐在中は、業務に差しさわりもなく健康であった証し。
・ 海南島でホールインワン。170ヤードほどあった。保険に入っていたが台湾でなかったので適用外。

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(台湾一周ドライブ旅行)
・ 当時は日本の車の免許証の書き換えができなかった。学科試験と実地試験を受けて一発で通った。現在は翻訳証明を付して交流協会で書き換えてもらえる。
・ スピード違反、駐車違反は点数ではなく罰金刑のみ。飲酒運転は罰則きびしい。
・ 高速道路は西岸は通っているが東岸は一部のみ。ETCが大体普及してきている。台北から高雄の間に料金所が7~8ヶ所。一区間が40元(約120円)だから南北を往復しても2,000円くらいで済むから、台湾の高速道路は移動に便利。
・ 台湾は、新幹線、バスなど公共交通機関が65歳以上(外国人も)半額。

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・ このような事情から台湾駐在を終えるまでに台湾を車で一周したいと思っており、2011年にやることができた。日本から来た娘一人が同行した。
日 時: 2011年7月27日~30日(3泊4日)
ルート: 台北~花蓮(1泊目)~墾丁(2泊目)~台南(3泊目)~台北
(旅程の写真は記録CD収録のスライド参照・・・事務局注)

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(金門島と根本博陸軍中将)
・ ノンフィクション作家でジャーナリストの門田隆将氏の講演会が台北であり、なぜ、金門島が台湾の領土であり続けているのか、それには元日本陸軍北支那方面軍司令官、根本博中将が大きく関わっていた話を聞くことができた。
・ 同氏の『この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~』(2010年4月、集英社発行)は、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で2010年8月15日に、「父は、なぜ海を渡ったのか」というドキュメンタリー番組として放映された。(Dailymotion 動画にUploadされている。)
(八田與一)
・ 台湾の教科書に載っている日本人。
・ 八田 與一(現在の字体では八田与一、はった よいち、1886年2月21日 – 1942年5月8日)は、日本統治時代の台湾で、当時としてはアジア最大級の烏山頭ダムを建設するなどして、不毛の土地を台湾最大の米作地帯に変えた金沢市出身の日本人技師。 烏山頭ダムでは與一の命日である 5月8日には慰霊祭が行われている。 2011年5月8日には、八田與一記念公園の完成式典が行われ、馬英九総統や森喜朗元首相などが出席した。
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烏山頭ダム

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八田與一銅像(本人はこのような顕彰のされ方に控えめであった)


(李登輝友の会)
・ 李登輝元中華民国総統の来日支援などが契機となり、日台関係の強化と台湾独立を支持する有識者らを中心に、2002年12月15日に設立された。「李登輝氏の日台運命共同体理念に賛同し、新しい日台関係を構築する」(会則第3条)ことを目的としている。(Wikipediaより)
・ 無料のメールマガジン「台湾の声」は、台湾建国運動の志士たちが運営する行動派メルマガで、台湾情報を配信している。
(鄧麗君)
・ テレサ・テン(Teresa Teng、1953年1月29日~1995年5月8日)、中国名:鄧麗君(デン・リージュン)、は、台湾出身の歌手。台湾のみならず日本、中華人民共和国、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、北朝鮮等でも絶大な人気を誇り、「アジアの歌姫」と呼ばれた。(Wikipediaより)
・ テレサ・テンの死因については諸説あるが、有田芳生著『私の家は山の向こう~テレサ・テン十年目の真実』に詳しい。命日の5月8日には、墓地を訪れるファンが多い。
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鄧麗君の墓

(工商会と二水会)
・ 台北市日本工商会(工商会)は台湾日本人会(日本人会)と公益財団法人交流協会とともに、台湾の日本人社会を支える三つの基礎として位置づけられている組織である。
・ 商工会には約430社が加入。日本人会の会員数は約3000人。
・ 二水会は、工商会と日本人会の理監事経験者の親睦会で、月に一度のゴルフ会を実施。

(林森北路)

・ 台北市内にある、主に日本人駐在員を顧客とする飲食店がある通り。
・ 在台便利手帳で知られる「マイタウン台北」(無料タウン誌)の案内が詳しい。
・ 駐在員として医薬品部会に所属し日本に帰国した人たちが林望会(林森北路を望郷する会)を東京でつくっている。

(芒果とライチ)
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芒果(マンゴー)農園での芒果狩り

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芒果料理の一つ(台南市)

(台湾製ビールとウィスキー)
・ 台湾ビール(たいわんビール、中文:台灣啤酒=タイワンピージュウ、英文:Taiwan Beer)は台湾の台湾煙酒公司が醸造・販売しているビールで、台湾最大のビール・ブランドである。(Wikipediaより)
・ 日本人駐在員で、尿酸値を気にする人は、台湾ビールにはプリン体が多いといって、嫌う人もいる。
・ 台湾産のウィスキーは、飲料メーカーの金車社により、台湾北部の宜蘭県に蒸留所がつくられ、2008年に発売されたが、2010年にスコットランドで行われたウィスキーのテイスティング大会で、スコットランド産3銘柄とイングランド産1銘柄を押さえ、台湾銘柄「カバラン」が最高位を獲得したことが、2010年5月7日付けのMSN産経ニュースで報じられている。
・ 空港の免税店でも販売されており、2,000元前後から、原酒であれば8,000元程度するものもある。

その後の台湾との関わりと現在の暮らし
・ フォルモサ会(台湾駐在経験者の集まり。東京と大阪。)と林望会(既出。東京。)に参加。
・ 現在は、台湾製薬会社と日本の製薬会社(それぞれ1社)の顧問をしながらスポット的に仕事をしている。私的な活動との日程調整に苦労している。
・ 大阪にほとんど居るが、月に1回程度は台湾に行っている。明日からも台湾行である。
・ 今はPeachが大変安い(台北~関空が片道4,980円。諸チャージ入れても往復12,000~13,000円ほど。)。韓国となるともっと安い。
・ 広島に居る母親を訪ね、時々帰省(1週間ほど)するようにしている。

最後に
・ 昔の風俗的な散髪屋はなくなっている。今は、日本のように散髪・シャンプー・肩もみで400元。台湾に出かける時は、駐在中行きつけていた散髪屋で散髪することにしている。先日もその店のおばちゃん曰く。「あんた頭洗う時はシャンプーじゃなくて石鹸で洗う方がええよ。」私は今や、頭髪よりも皮膚のほうが多いから、このようなアドバイスをしてくれたらしい。
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