事務局より
日常から最先端まで医療の世界を最近まで下支えしてこられたなかで、興味深いオフレコ話をいくつかお聞かせいただきました。また、泰然自若とした現在の老前生活ぶりをご紹介いただきました。自分の人生は「裏街道」であったとご謙遜されますが、これからますます輝きを増されることでしょう。

語り手2: 佐々木哲明さん(13期)

「裏街道をゆく - 情報化社会の医療は一里塚 -」


1.はじめに - 終末に向けての静かな生活 -
出張のストレス、親の健康状態、妻の病気の理由から60歳を前に勤めを辞めた。今は東京への通勤生活から解放され、住まいのある我孫子でゆったりと過ごしている。
次の3つが今の生活の柱である。
・ボランティアでの地域社会とのに関わり
・古寺を訪ねて、ときどき低山ハイキング
・バラを育てる生活
我孫子という土地の歴史と景観をあらためて見直し、ささやかながら地域のNPO活動(「我孫子の景観を育てる会」)に参加している。
時間と機会があれば、一人で古寺を訪ねている。ただ古寺のたたずまいの中にいるというだけで満足だ。
年に3~4回、ワンゲルのアラカングループで低山ハイキングに出かけている。この時間と空間も好きだ。
我孫子の自宅には、脳梗塞治療中の私とガン闘病中の妻の二人暮らしで、バラづくりを楽しんでいる。



2.裏街道への第一歩
現役の大学受験時(1969年)は、学園紛争のために、東大入試がなかった。岡山の高校を卒業して、出身高校に通いながら浪人生活を送るという計画であったが、急な親の転勤で熊本に移り、予備校に通うことになった。一浪後、合格した一期校を蹴って、外大のイスパニア語科に入学したが、ストによる授業カット、ほんわかムードで勉強に身が入らずに中退した。ワンゲルのクラブ活動は、在学中終始、熱心なほうであった。
もちろん就職活動には苦戦したが、厚生省外郭の財団法人医療情報システム開発センターの総務課事務職にようやく腰かけ的に就職できた。
この勤め先で予想もしない「医療と情報」の世界に関わることになり、いつの間にか事務職から研究・企画職にシフトしていくことになった。
仕事を通じて影響受けた人物として大島正光、今井澄(きよし)のご両名がいる。
大島氏は人間工学、医学工学、宇宙工学、航空医学に造詣が深く日本人宇宙飛行士選考委員長でもあった。彼の午後6時以降の夜の秘書としてずっと寄り添った。また、彼が主催する国際会議や学会の事務局としての裏方、海外出張に同行など表には見えない仕事を担った。
今井澄氏は社会党出身の民主党国会議員でシャドーキャビネットの厚生大臣、諏訪中央病院院長だった人。1968年東大安田講堂攻防の学生守備隊長だった。医師として諏訪中央病院に着任し、地元で患者に慕われた。安田講堂事件で判決が確定し、収監のため地元を出発する際には、市長や患者が大勢駅に見送りに来た。刑務所の中でも仕事を続け、病院のシステムは刑務所のそれより劣ると実感したそうだ。
後に、ある出版社が企画し、彼が司会した病院情報システムをテーマにした座談会に情報システムに通じた者という立場で私は出席した。それをきっかけに、事務職から主任研究員へと転進し、病院情報システムのコンサルタント事業部門を起こした。当時ほとんどのコンサルには何らかのメーカー色がついていることも多かった中で、中立の立場をとったコンサル業務の進め方で、病院側とメーカー・ベンダー側双方からも評価されていた。在職中の最後の数年間では、山形や静岡の公立病院への電子カルテの導入コンサルを担当した。


3.医療情報の分野で経験したこと
◆感染症の本当の姿: 細菌の逆襲
生活習慣病に関心が移り、医薬品の発達もあって、感染症は「すでに恐れるものではない」という認識の人もいるが、細菌(生物)の逆襲で、近年新たな医療問題が生じている。例えば交通事故、骨折で入院中の院内感染のために重篤な感染症に罹り、生死にかかわるといった症例もでてきている時代となってきた。
抗生物質を投与することによって、劇的に症状が改善する時代もあったが、使い方・頻度に留意しないと、突然変異によって耐性を持った細菌が出現してきて、ある種の抗生物質が効かないという事態を引き起こしてしまう。新しい抗生物質の開発と耐性菌のいたちごっこといえる。
その対策の一つとしては、必要以上に抗生物質を使わないというのが医療現場の常識となりつつある。一方で、製薬会社では、半永久的な薬効が期待できなくて開発費のかさむ抗生物質の新薬開発から撤退気味で、感染症治療の切り札となってきた新しい抗生物質の開発が行われないという状況にある。そんな中で、自分は全国の病院での抗生物質の効き目を調べる全国サーベイランスの仕事も担当していた。
◆「くすり」の話: 医薬品データベース作成の裏話
医療用の医薬品にはブランド名で2万数千種類もあるが、わが国にはその基本情報のデータベースすらなかった。スモン問題の起きた後、国会の付帯決議を経て。国からの委託事業として所属する財団にデータベースの作成が事業委託された。数年間の苦戦の結果、医薬品の製造販売会社から情報提供を受け、データベース化して維持管理して、医療機関等に提供できる社会システムを完成することができた。
現在、皆さんが病院や調剤薬局で薬を処方されるときに、一緒に手渡される処方薬についても情報は、このデータベースを利用しているケースがほとんどである。
私にできた数少ない社会貢献の一つとなった。



4.身近な医療の話 - 後悔しないためには -
◆良い病院とは?良い医者とは?良い患者とは?
病院の医療機能評価(第三者機関による評価)では、現在では、「病院の敷地内全面」の一項目が達成できていないだけで、医療を提供するための基本的な機能を持つと評価された病院にのみ交付される「認定証」が与えられない。
◆多くの患者は、大学病院は高度な診療機関であると考えているが、実は大学病院は医者を育てるための医育機関であり、患者は了解してその医育に協力するために受診しているという実態を知らないケースが多い。
◆セカンドオピニオンとは?
重要と考える病気の診断には、セカンドオピニオンとして必ず違う病院での診断を受けるべきである。医療保険上でも、情報提供料が設定されているから、自分の検査データ、レントゲン写真など借りるのに躊躇することはない。自分のものと考えていいのだから。
◆チーム医療、産科・小児科問題
女医の増加により(産科は勤務時間が定まらず、並の家庭生活を送ることが特に困難)、また医療訴訟を避けるため、産科医が減少している。医師免許では専門分野を定めているわけではないので。
◆ガンの診断・治療は進歩しているのか?
近年では、ガンも成人病化してきて、長期間の治療で生命の維持のみでなく通常の日常生活が期待できる時代となりつつある。完治のみがガン治療のゴールとはいえない。進行を抑える薬は進歩しているし、いい治療法がでてくるかもしれない。物分りのいい患者にならず、時間を稼ぎ、チャレンジ精神をもってガンに対処しよう。


5.我孫子というまち
我孫子にゆかりのある著名人は多い(資料配布)。嘉納治五郎、柳宗悦、志賀直哉、バーナード・リーチ、中勘助、滝井孝作、鶴見俊輔、鶴見和子、小林多喜二、若山牧水、山下清、柳田國男・・・
なかでも、朝日新聞の「天声人語」の命名者で知られる、明治・大正期のジャーナリスト、杉村楚人冠(1872-1945)は関東大震災後に我孫子に移り住み、生涯を過ごすが、数多くの文化人が彼を訪ねるところとなり、我孫子の文化風土を育む結果となった。手賀沼が現在、県立自然公園として残されているのは、彼が主導した干拓反対運動のおかげともいえる。

(参考URL)
個人ブログ: http://blogs.yahoo.co.jp/abbysasaki
我孫子の景観を育てる会HP: http://www.geocities.jp/abikokeikan/














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